わたし39歳、子17歳。これまでで一番穏やかな毎日を過ごせるようになった

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ひとりごと

おかげさまで、39歳になりました。

気持ちは19歳ですが、戸籍上は紛れもない39歳です。1984年生まれ、ねずみ年です。

最近思うんですけど、今の生活、ほんっっっとうに穏やかなんです!!

やっと、自分のことに目を向けられるようになったな、と感じています。

子どもと2人暮らしなんですけど、子は現在高校3年生です。

もうね、めちゃくちゃ楽です。

もちろん、今後の進学資金という大きなタスクがまだ残っているし、子どもがいる以上はいつまでも心配事は付きないだろうとは思います。

でも、離乳食を作って食べさせなくてもいいし、勝手に脱いじゃう靴下を何度も履かせる必要もない。

「宿題やった?」「プリント出してよ!」と言わなくていい。

高校生になると、というか、多分、「子が精神的に自立すると」、楽になるんだと思います。

なんでもかんでも親が把握して管理しなきゃいけなかったのが、なくなりました。

子どもが自分で考えて自分で行動します。今でも「ピアノの月謝持った?」とか「この日はお弁当いるの?」とかの確認はしますが、責任の所在が子に移った感が、すごくあります。

子が自発的に「バイトのシフトでた」とか「試合の同意書書いてほしい」とか言ってくれるし、わたしが覚えておかなくていい。

もう、すごく楽だ……。

会話も、大人に近くなってきました。

延々とトミカ・プラレール123(という本)を読まされることもなければ、延々と仮面ライダーの話を聞かされることも、延々とレゴの作品を見せられることも、なくなりました。

わたしが逆に教えてもらうことも増えました。

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わたしは、21歳で出産しました。大学を中退して。

それから今に至るまで、ずっと、自分のことにかまってる暇はなかったように思います。

大学に入ってから自分が子どもの頃に虐待を受けていたことに気づき、自分がアダルトチルドレンだと知りました。

子どもには絶対虐待をしないように、必死でした。

生きるために働かなければならなかった部分も大きいけれど、「(保育園や学童に行くことで)なるべくわたし以外の大人にもたくさん接して、わたしの歪んだ価値観に毒されないでほしい」という気持ちも実は、ありました。

今となっては、もっとこうすれば良かった、あんなに怒らなくてよかったとか、いろいろあるけれど、そのときどきで精一杯のことをしてきたな、とも思います。

こんなツイートをしたんですけど。

「焦らず気を落とさず」と書いたけど、わたし自身は、焦る暇すらなかった気がします。

そもそも自分の育ちの傷に対処することなくごまかしごまかしやってきたから、自分の人生にじっくり向き合うみたいなことを、徹底的に避けてきたというか、その必要性すら知らなかったというか。

2019年にメンタルダウンしてから、ようやく自分のことを少し考えるようになったものの、当時は子どももまだ中学生で、今のように楽な状況ではなかった。

けど、このときからカウンセリングを受けるようになって、その後もいろいろあって今も通ってるんですけど、本当によかった。

わたしの人生はなかなか過酷で、子どもの頃に育まれているべき自己肯定感が育っておらず、家でくつろぐ感覚がなく、どこにいても安心できない。でもそれが自分にとってはそれが当たり前だから、異常に気づけない。

それが、この数年で問題に気づけて、自分を客観視して、それなりに良い感じに生まれ変わったように思います。

そして、今は人生で初めて、家でくつろいでいます。

誰もわたしを虐げない・脅かさない。

実際に虐げられたり脅かされたりしてなくても、わたしが勝手に恐れていた部分もあるのだけど。

今は安心して生活できているので、夜もよく眠れるし、気分も良いです。

今思えば、これまでよく生きてきたな、と思う。家でくつろげないって、めっちゃしんどいですよね。

わたしが仕事に夢中になったのも、家とか家庭とかいうものよりも、仕事のほうがわかりやすい安心が得られたからかもしれません。

もう39歳で、これまでの人生を不安で過酷なまま過ごしてきたことについて、惨めな気持ちになったり、悔しい、憎い、という気持ちにもなったりします。

が、まあ過ぎたことは仕方ないし、大事なのはこれからなのでね。

子育ても終わりが見えてきて、自分のことを考える時間が増えると、まずは不安や後悔が押し寄せるけど、最近はその段階は乗り越えてきたかな。

今のことや将来への希望を考えることが圧倒的に増えた気がする。

ただ、自分がやりたいことを考えるのも一苦労で、自分が何をしたいのかなんて、わからないんです。

いや、わかるんですけど、わたしはどうしても、まず自分ができることの中から得意なことを掬って、その中から好きなことを選びとる、という段階を踏んでしまいます。

さらに、社会的な意義とか、親や世間に対して言い訳ができるか、という基準が絶対的にあり、そのフレームから出るのが、すごく難しい。

だって、無意識だから。

たとえばWebライターの仕事を始めたのも、潜在意識としてはわたしがやりたいことで、衝動的に突っ込んでいったわけだけど、そのときも、わたしは正当性があるか、親になんて説明するか、世の中にどう説明するか、ということを無意識に考えた上で突っ込んでいるわけです。

だから、わたしはガーデニングも子どものころからずっと好きなんだけど、これを仕事にはしていないんですよね。ギリギリ、ちょっとした趣味として「これがあると癒やしになるから」という正当性のもと、たしなむ程度でした。

けど、この数年でガーデニング熱はすごいし、ようやく、正当性とか関係なく自分が好きで仕方ないことに邁進するということが、少しできるようになったかな、という感じ。

さて、これからの1年間は何をしようかな。

今後2~3年は、準備期間というイメージです。または、自分育てに注力する期間かな。自分探し的な。

自分がやりたいことがあんまりわからないから、とにかくいろんなことをやってみたい。

良い1年になりますように。というか、良い1年にする。

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