「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」を読んで、他者の課題に首を突っ込むまいと痛感した話

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メンタルヘルス

今さらって感じですが、あの大・大・大ベストセラーの『嫌われる勇気』および『幸せになる勇気』を読みました。

興味はあったんですけど、なぜか手が伸びず。

けど、わたしがこの勇気2部作を読むのは、このタイミングがベストだったんだろうと思います。

わたしはこの本を読んで、これまで自分が「他者の課題」に介入してしまっていたことに気づきました。

嫌われる勇気・幸せになる勇気とは

嫌われる勇気・幸せになる勇気のふたつは、哲学者・心理学者である岸見一郎さんと、ライターである古賀史健さんによる、アドラー心理学の解説書です。

と説明すると教科書っぽく思えてしまいますが、物語形式というか対話形式というか、そんな感じで展開されていくので読みやすいと思います。

文体も優しく、平易な言葉で綴られているので、哲学だとか心理学だとかになじみがない人でも読めるでしょう。

わたし自身は、アドラー心理学について学んだことがなく、この本で初めてアドラー心理学に触れました。

そして多くの気づきを得ることができ、もっと理解を深めるために、「アドラー心理学入門」という本も買いました。

この2冊も、十分に理解したとはとても言えないので、繰り返し読むつもりにしています。

多くの気づきを得た中で、特に、「課題の分離」ということについてはわたしに深く突き刺さったので、このブログでも書き残しておくことにしました。

「自分の課題」と「他者の課題」を分離すること

「嫌われる勇気」の序盤で出てくるのが、この「課題の分離」という考え方です。

140ページにこう書かれています。

あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと、あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされます。

この本を手に取ったのはちょうど、わたしが精神的にしんどくなってしまい、カウンセラーさんから休養を言い渡された数日後のことでした。

参考:35歳シングルマザーがうつ状態になって1か月のあいだ活動休止した話

で、わたしがしんどくなってしまった一因がまさしく、「他者の課題に介入したこと」だったんですよね・・・。

わたしは元から、とにかく人助けをしてしまうタイプで、まあハッキリ言ってこれまで多くの人に感謝されまくって生きてきています。

困っている人がいたら放っておけないし、わたしになんとかできそうなことであれば、片っ端から首を突っ込んでしまいます。

で、人助け自体は悪いことではないんですけど、わたしは他者の課題に踏み込んでしまっていたことが往々にしてあったのでした。

「他者の課題」という言葉は説明しなくてもなんとなくイメージできると思いますが、詳しくは本を読んでくださいね。

まあ、「自分じゃなくて、他者(相手)自身が責任を負うべき問題」って感じです。

たとえば子どもに勉強しなさいとか言いますけど、勉強しなくて最終的に困るのは、親じゃなくて子ども本人ですよね。
だから、勉強するかどうかは「他者の課題」。

親として、子どもが勉強への意欲を持ってくれるように「援助」することはできますが、「介入」してはいけないってことです。

わたしは、この「課題の分離」をせずに、他者の課題を見ても「わたしに解決できそう!」と思うと介入してしまっていたのだなぁと思いました。

また、読んでみようかなと思います

課題の分離以外にも多くの気づきは得ましたが、レポートを書けるぐらいにはまだ理解できていないのが現状です。

というか、読んだタイミング的なものなんですけど(言い訳ですけど)。
メンタルがずどーんと沈んでボロボロの状態のときに読んだので、「読みながら理解して自分の言葉でメモをとってレポートにまとめる」なんてことはとてもできず・・・。

わたしはもともと、経済的な問題さえなければ大学で哲学を専攻したいと考えていたんですけど、そんなわたしなので、こういう本はもっと読みたいなと思いました。

哲学的なことでひたすら思索にふけるような生活も、(べつに毎日じゃなくていいけど)してみたい。
けど、休養中はわりとそんなふうに過ごせたので、すごく楽しかったです。

いや、実際にはカウンセリングに通いながら自分の問題に向き合ったりしてるから相当しんどいときも多かったんですけど、でも、それも含めて、「今まで押し込めてきたものと向き合って、今後の人生を自分にとって良いものにしよう」と思えたから、よかったなぁと。

「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」にはさまざまなエッセンスが詰まっているので、誰でも、何かしら気づきがあるんじゃないかなと思います。