「頑張ったら報われる」ではなく「満たされているから頑張れる」と考える

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ひとりごと

努力が報われてきた人生でした。

知能が高く、勉強が好きで、よく気がつき、愛想が良く、人が嫌がることを引き受け、恐ろしいほどに我慢強かったわたしは、努力すればいつでも報われました。

それは、実は、報われなかったことについては自分の努力不足だと切り捨ててきたことでもあるんですけど、まあとにかく、わたしの主観としては、努力は報われる、報われない人は努力が足りない、っていう、そういう感覚が幼いころからありました。

もちろん、努力すればなんでもできる、ということではありません。
自分がいくら努力しても野球選手にはなれないだろうとか、そういうのは分かっています。
ただ、「自分が望む範囲のこと」については、努力すれば叶うと思っていましたし、実際に叶ってきました。

しかし長く生きていると、徐々に、歪みが大きくなります。

努力ではどうにもならないことがあると、認めなければならなくなりました。
どれだけ頑張っても、現在のわたしは毎日フラッシュバックに悩まされ、抗不安薬が無いと外出もできません。

それに、わたしの努力には、「恐ろしいほどに我慢する」「自分を犠牲にしてまで人に与える」といった、自分を傷つける不健全な要素が多分に含まれていました。

世の中の多くの人は、恐ろしいほどに我慢したり自分を犠牲にしたりはしないので、わたしのしていることが、理解できないようです。

わたしだけでなく、虐待など不適切な方法で養育されてきたような人は、世の中の人にとっては理解できないようなことを、平気でします。
「どうしてそんなにマイナス思考なの?」「どうしてそんなに無理をするの?」と、多くの人が思うようなことでも、本人にとってはそれが当たり前です。

多くの幸せな人が、無邪気に、わたしたちを傷つけます。
そんなとき、わたしは「あなたは幸せな家庭で育ったんですね、よかったですね」と思いますが、一定以上に踏み込まれると、その人のことを軽蔑するだろうと思います。

話が逸れました。

まあそういうわけで、わたしは、歪んだ価値観ゆえ、努力が報われると、過剰に思っているところがありました。というか、今もあると思います。

でも、今のわたしに必要なのは、クソ根性論ではななく、心をふかふかにするような、豊かで温かな考え方です。

余談ですが、わたしは、最近は自分の心のことを、よく土や植物のイメージで捉えます。

わたしの心の土壌は全然養分も足りず十分に耕されてもおらず、十分な設備も整わないのに、自分の手だけで一生懸命耕して、自分で手に入れた肥料でなんとか植物を育てていたけれど、時間が経つにつれどんどん追いつかなくなって、どんどん土はカチカチになって、植物も全部枯れてしまった。
そんなイメージ。

3月の事件より前から、その事件に関係する問題で、ここ数年は過酷な日々が続いていました。

約2年前、カウンセリングを受けたときぐらいから、少しずつ、耕すのを手伝ってもらったり、上手な耕し方を教えてもらったり、できるようになった気がします。

けど事件が起こって、少しずつふかふかになってきた土壌も、またカチカチになってしまった。
というかもはや、土壌汚染。

今は、とにかく無理をせず、植物を植えようとはせず、有害な物質を地道に取り除く。土を休ませる、最低限の肥料を入れて耕して、ふかふかの土になるまで、じっと、待つ。

みたいな。
何言ってるか自分でもよく分かりませんが、そんなイメージで、自分の心の状態を見つめています。

さらに余談ですけど、本当にまともに頭も働かないので、難しいことは考えられませんし、文章が多少めちゃくちゃでも、「ああ、人は心に大きな傷を受けるとこのようになってしまうのだな」と思っておいてください。

さて、今度こそ話を戻します。

そうなんです、わたしは、「努力すれば報われる」と考えるのをやめて、「満たされているから頑張れる」と考えることにしたいんです。

きっと、それが普通だと感じる人もいると思います。
自分が満たされていないのに、どうして人のために頑張るの?って。

これまでのわたしの考えは、自分がまったく満たされていなくても、とにかく頑張るのが先。ごほうびは後。
どんなにしんどくても、がんばらないと良いことは起こらない。

けど、そんな調子では長くは生きられないようです。

今後も生きようと思うなら、わたしはまず、自分を満たすことを十分にしなければならない。

わたしと同じような苦しみを抱えている人の中には、「そうは言ってもやらなければならないことがたくさんあるから無理するしかない」って思う人も多いと思います。わたしもそう思います。

でも、それでも、自分を満たすことを最優先にするんです。

できないときももちろんあるし、これまでさんざん自分をないがしろにして生きてきているので、そもそも自分が何を好きなのか、何で満たされるのか、よく分からなくて茫然とすることも多々あります。

それでも、やるんです。

心がしんどくなると、何が食べたいのかすらも分からなくなるけど、それでも、よーく考える。
考えるとどうしても、家族の事情とか予算とかいろんな理屈をこねだしてしまうけど、それでも、「だめだめ、わたしが何を食べたいのかってことに意識を集中させるんだ!」って、がんばる。

なんか、本当に死にそうに毎日しんどいので、逆に、生きたいという気持ちが自覚できるようになった気もします。

死にそうにしんどいけど、なんとか生きてます。

その一環として、頑張って報われようとするのではなく、「がんばろ!」って思えるようになるまで自分を満たすことを、大事にしたいと思います。