名越康文さんの「『ひとりぼっち』こそが最強の生存戦略である」という本を読みました。
わたしはちょうど、メンタルをやられて休養していたタイミングで読んだということもあってか、いろいろと参考になることが書かれていました。
参考:35歳シングルマザーがうつ状態になって1か月のあいだ活動休止した話
この本はもともと名越康文さんのメールマガジンの記事をもとにしているそう。
実は読みながら、「タイトルと内容が合ってない部分があるような・・・」なんて思ってしまったのですが、そういうことだったのですね。
その前提で読むと、そんなに違和感ないと思われます。
というわけで、わたしの感想を記しておきます。
「心の中の他人」に苦しめられている
28ページ。
対人関係のストレスの多くは、実は、現実の相手というよりは、「心の中の他人」によってもたらされるものです。
そうなんですよね。
「あの人に嫌われたくないからがんばろう」とか「あの人はなんでわたしに気を使ってくれないんだろう」とか、人間関係で悩むことはたくさんありますが、実は「あの人」っていうのは自分の心の中にいる「あの人」なんですよね。
直接「あの人」が危害を加えてきたり、悪口を言ってきたりすることって実はほとんどないですもんね。
だから何って感じかもしれませんが、まずはこの事実を自覚することが大事だと思います。
だって、心の中のできごとであれば、自分でなんとかできるかもしれない。
人間が共有する「幻想」は強力な支配力を持っている
40ページあたりの話。
人間が巨大で複雑な群れを作れるのは、幻想を共有できるから。
たとえば実の親子以上に深い絆で結ばれている家族。「わたしたちは日本人だ」という意識。
そんな幻想は、本能に勝るとも劣らないぐらい、強力な支配力を発揮する。
クラスの中のグループなんかがそうですよね。
大人になってみたら「しょうもな~~~~~!」って思うような、「イケてるグループ」とか「オタクグループ」みたいなやつも、その当時は「どのグループに属するかが死活問題」だったりする。
ちなみにわたしは高校からはグループに属するのをやめて、ふらふらしてたタイプです。
人間関係も大事だけど・・・本末転倒になってない?
46・47ページ。
わたしたちは友達や家族、恋人などいろんな人間関係を持っていて、それは大事なものですよね。
でも・・・
群れの中での居場所を確たるものにするために、自分の身体や心を消耗させてしまっては本末転倒ではないかと私は考えます。
どれほど大事な人間関係でも、そもそも「自分のための人間関係」なのに、人間関係のために自分がしんどくなってしまっているのはおかしいってことです。
わたしがしんどくなってしまったのは、まさしく、群れに過剰適応してしまったから。
休養を経たわたしとしてはすごく納得感のある話ですが、過剰適応している状態ではその異常さに気づけていなかった、というのが恐ろしいです。
ほら。
「自分はそれなりにバランスをとってうまくやっています!」という人も、一度、自分がどれくらい、他人の期待に応えようとして行動しているかを、チェックしてみることをお勧めします。というのも、過剰適応に陥っている人は往々にして、自分がどれほど病的に群れからの期待に応えようとしているかをいうことに、気づくことができないからです。
期待に応えるのは当然、と思ってるとしたらヤバいです。
仕事でもないのに結果にコミットしちゃう人は、ヤバいかもしれません。
これ全部、先月までのわたしです。
「ソロタイム」で自分の時間を過ごす
50~56ページ。
この本のメインテーマである「ソロタイム」。
群れを離れて1人で過ごす時間のことです。
でも、1人の時間を過ごしていても、他人とのコミュニケーションのことでいっぱいになっていたら、「自分の時間」とは言えない。
たとえば「なんであの人はあんなことを言ったんだろう?」「今度あの人に会ったらこうしよう」とか、そんなことを考えているようでは、せっかく1人で過ごしていても「ソロタイム」とは言えないんですね。
ソロタイムは、目的意識を持たないようにするべき、ということも書かれていました。
せっかく散歩していても、「ダイエットのために歩こう」とか思っているとか、目的意識は結局「群れからの要求」に応えることになってしまっているからだそう。
あと、「群れの内側で失われた人生の活力は、群れの外で充電する」ということも書かれて、わたし自身は「群れの内側で充電しようとしていた」ので、ギクッとしました。
たとえば特定の人に対して不満があってしんどくなったとき、その相手に対して「こうなったのはあの人のせいだからあの人に責任をとってほしい」みたいな思考になっていたんですよね。
で、それを理詰めで「あなたはこのような行為をしてわたしを傷つけたのだから謝ってほしい、今後改善してほしい」と要望してしまう、というような。
けど、それで報われたことはありませんでした。
しんどくなったら、群れの外、つまりソロタイムで充電すべきなんですね。
「才能」を開花させるには集中すること
68~73ページ。
子どもの才能を開花させるには、集中・没頭を邪魔しない。見守る。
一方で、社会に適応する方法を伝えることも必要。
という話が書かれていました。
親や教師が才能を「引き出す」とかじゃなくて。
で、社会に適応する方法を伝えるという点が、なるほどと思いました。
せっかくの才能も、社会に適応できなければ潰れてしまうことがありますもんね。
詳しくは本を読んでください。
才能が花開くには、群れからの期待に応えようとする目的意識があってはダメで、とにかく集中・没頭することが大事で、この一節がイメージっしやすかったです。
大好物のスイーツをほうばっている時、私たちの頭には「三食きちんと食べなくちゃ」とか「栄養をしっかりとろう」という目的意識は頭にありません。ただ黙って、味や食感、あるいは温度を舌や口の中で感じとり、ゆっくりと味わっているはずです。
そんなふうにひとつの物事に没頭し、集中してみましょう。
そもそも「才能」って何って話ですが、才能は、社会的な成功とかお金が稼げるとかそういうところがゴールではなくて、才能が花開くこと自体が、幸せをもたらすという話もありました。
よく勘違いをされるのですが、「才能」を花開かせることは、社会的に成功するための手段ではなく、それ自体が、その人の人生を輝かせ、幸せをもたらしてくれるものだと、私は考えています。
そうですよね、これはそうだと思います。
群れと群れのあいだにある壁は「マジックミラー」
83ページ。
群れと群れのあいだにそびえ立つ壁はマジックミラー。
外からは、その群れの歪みがよく見える。内側にいると、そもそも外の世界があることすら気づけない。
これ、ありますよね~。
わたし、前の仕事をしてたとき、店長とうまくいかなかったんですけど、辞めてから「あれってパワハラやん!!」って気づきました。
子どものいじめ問題もそうですけど、大人から見たら、しょうもないことが原因だったりもするし、「今すぐ逃げろ!」とか「言い返してやれ」とかいろいろ言いたくなるものですが、そのさなかにいると、その異常性にも、その解決法にも気づけません。
自分がいる群れの外には別の群れ(世界)があるって知っておくことが大事ですね。
ひとりぼっちになるには「旅」と「片付け」
89~94ページ。
旅に出ることの効用は改めて言うまでもないと思いますが、片付けには、旅と似たような効果があるという話です。
「捨てる」ことは、自分のアイデンティティの一部から手を離すということ。
大昔、狩猟採集民の所有物は少なかったけど、定住し、モノが多くなるほど、人は「変わる」ことが苦手になった。
っていう。
わたしはけっこう持ち物が少ないタイプなので、だから変わること自体へのハードルが低いです。
で、持ち物が多い・捨てられない人ほど、自分を変えることにも抵抗を感じているという話は本当っぽく感じます。
暗い気分で下す決断は百パーセント間違っている
102ページ。
ほんと、これです。
わたしもこれまでさんざんやらかしている気がします。
大きな決断をするときは平常心でいるべきだが、そういうときほど平常心でいることは難しい。
ではどうするか?
いったん群れを離れ、心を落ち着けてから判断する。
ということです。
大事な時間を無駄にしない
112・113ページ。
私たちはお金についてはほんの小さな額でも、他人に与えたり、浪費したりすることを躊躇います。ところがどういうわけか、時間についてはずいぶん気前がいいんですね。多くの人が「人生の時間」というこのうえなく貴重で限りある財産を、対人関係のいざこざの中で、浪費しているのです。
自分のタスクに十分に向き合っていないうちは、他人に貢献することができないのです。
大事な時間を他人に費やしてしまって、自分のタスクが後回しになって・・・っていう悪循環に陥ってしまっている人はたくさんいそうです。
わたしもうそうでしたが。
というか、これを書いている時点ではまだ休養中なので、休養を終えて人との関わりが復活したときに、また他人に時間を使ってしまわないか不安もあります。
でも休養中にカウンセリングに通って、自分と向き合い、他人に時間を使いすぎていたんだと気づいたあとは、なんていうか、
めっちゃ時間あるな
って思います。
え、こんなにたくさんのことができるの?って。
休養中ですからまだ心が疲れていて完璧にエネルギーが回復してるわけではないのに、それでも、びっくりするぐらい時間があるんですよ。
カウンセラーさんから「好きなことをして過ごして」と言われたけど、4週間ほどでほとんどやりつくしてしまって、「ひまやし仕事しよ・・・」みたいな感じになりました。
いや、やりたいことの中にはお金の問題だったり時期の問題だったりで今すぐできないこともあるけど、とりあえず「今できること」はできました。
ゆっくり丁寧に
162~165ページ
モノと身体を感応させる、という話です。
仏教では「行」。
家事の多くは行として機能しているそうで、機械的にやるのと、意識的にゆっくり丁寧にやるのとでは、心の持ちようが変わりますよね。
なんていうか、掃除が「心に効く」みたいな。
例としては、あえて高級なメガネ拭きでメガネを拭くという方法も紹介されていました。
(で、読み終わってすぐにメガネ拭きを買いに行ったのはわたしです)
そういう意味では、爪にマニキュアを塗る、というのも、心に効く行為です。
わたしはこの休養中、丁寧にネイルケアをしていたんですけど、これがすごくいいんですね。
ネイルのエピソードは、安野モヨコさんの「美人画報」に書いてあって、当時のわたしは「へー」って感じで読んでましたが、今はすごく共感できます。
よい習慣を身につけるには「毎日」「目的意識を手放し」「朝が勝負」
190~200ページ。
習慣をつくるには、毎日やるのが大切で、毎日少しずつでもやる。
生活習慣を変えて定着させる目安は3か月。
2週間あれば慣れる(けど実はそれが難しい)。
だそうです。
たしかに、続かないですよね!!
けど、習慣が続かないのは、意思が弱いとかじゃなくて、目標が大きすぎるのかも。
「毎日1時間ジョギングする」とかは無理です。
「1日5分早く起きる」とかから始めるべきだそうですよ。
ちなみにわたし、毎日1種目の筋トレを毎日続けてます。もう7週間目に入りました。わーい。
それから、「本気で」やらないといけない、とも書かれていました。
本気で変えようとしないと、習慣化できない。
で、こんなことが書かれていました。
なぜ、私たちはなかなか本気になれないのでしょう?それは、私たちは本音のところで「できるだけ楽をして変わりたい」と思っているからです。
耳が痛いですね・・・!
それから、習慣を変えるのには負荷がかかるけど、負荷を楽しむのがいい。そのためには目的意識を手放す必要があるとのこと。
「痩せるために筋トレやらなきゃ」じゃなくて、「筋トレが楽しい☆」ってなるのがいいんですね。
わたしは今回は、トレーニング表を作ってチェックできるようにしていて、毎朝丸をつけるのが日に日に楽しくなっています。
そうそう、習慣を変えるためには朝が勝負、ということも書かれていました。
朝の過ごし方が、その日一日の在り方を決めるみたい。
たしかに。
わたしはうっかり夜更かししてしまうことが多いので、予定を入れるときはなるべく朝に入れています。
病院とかエステとかの予約ね。
そしたらちゃんと朝起きれて有意義な一日が過ごせます。
正直「朝活」ほどの早起きはできないんですけど、生活リズムを崩さないようには気を付けています。
ソロタイム。まとめ
224ページ。
ソロタイムは、こういう意味があります。
群れからの評価や役割に依存せず、さわやかで、明るい自分を手に入れること
「明るい自分」とかの表現がやや誤解を生みそうな気配がするので、詳しくはちゃんと本を読んでください。
で、そうやってソロタイムをもって、さわやかで明るい自分を手に入れるとどうなるか?
群れからの評価や賞賛をあてにせず、過剰適応に陥らずに他人に貢献できるのであれば、人は無理なく、群れの中で生きていける
自分の意思で、他人に貢献できるようになる
人は、あえてひとりぼっちの「ソロタイム」を持つべきだけど、群れから完全に離れて生きることはできないんですよね。
群れの中で生きていくことになる。
でも、ソロタイムを持っていれば、群れの中で、他人に貢献して幸せに生きていける。ということなのだと思います。
さいごに
わたしは、これまでにもわりと「ソロタイム」を持っていたほうだと思います。
群れを離れて、一人で没頭する時間はありました。
だからこそ、心に問題を抱えながらもこれまで、なんとか無事にやってこれたのかな、という気もします。
けど一方で、一人の時間が圧倒的に足りなかったのも事実です。
とくに大人になってからは、ほとんどソロタイムを持てていませんでした。
今回わたしはやむを得ず休養することになりましたが、その中で、ソロタイムの大切さを身をもって知りました。
休んでる暇がないという人も少なくないと思いますが、それでも、あえて数日、いや数時間でもいいので、自分のための時間を作ってみてほしいです。