「こんなにちょろくていいの?」は才能の発見だ。

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先日、とある駆け出しライターさんとお話ししていたときのことです。

「こういうジャンルをやってみたいんです」という話から、「こういう感じには書けるんですけど、こんなのでお金をもらうのが悪くて」とその人は言いました。

これ、自分自身の経験からも言えることなんですけど、そんな風に思えるものは、たぶん才能があると思うのです!

実力があるから「これでいいの?」と思ってしまう

お金を稼ぐのは大変なことだ。特に努力しなくてもお金がもらえるなんておかしい。

そう考えてしまう気持ちも分かりますが、お金は努力に対して払われるものではありません。

ましてやフリーランスの場合、かけた時間に対してお金が払われるわけでもない。

お金は、成果物に対して払われるものです。

酒飲みながら書いた記事だろーが、自分が知ってることしか書いてない記事だろーが、成果物が良ければそれでいい。

もともと実力を持っていると、「何の努力もしてないし時間もかかってないけど、こんなのでいいの?」と思ってしまうことがあるのではないでしょうか。

世の中わりと、すごい人ほど謙虚だったりするわけですが、中にはマジで自分の才能に気づいてないケースもあるんですね。

自分の能力を正しく認識するのは難しい

わたしももっと頭が良かったらいいのにってよく思います。わたし、自分の能力がよく分からないんですよね。何がどれぐらいできるのかよく分からない。

でもたいていの人はわたしと同じで、自分の能力を正しく認識できていない。その辺は他人の方がよく分かってる。

わたしは自分のことはよく分からないけど、人のことを見ていると「こんなに才能があるのに活かさないなんてもったいない!」と思うことが多いです。

わたしはコミュニケーションが高めでなおかつ小賢しい部分もあるので、

「こうやってこうすればお金になるよ!」

ってアドバイスすることもあるんだけれど、

当の本人は

「いやいや、そんなわけない」とか

「それが本当だったらいいんですけど」とか

訳の分からないことを言っている。モッタイナイ!

ちょろいと感じるのは悪いことではないと言いたい

言葉は悪いけど、「ちょろいな」と感じることがあるなら、それは自分にそれだけの能力が備わっているということだと知りましょう。

わたしみたいなモンはまだまだ大したことしてないですけど、今までの人生でも何度かそういうことはありました。

「こんなちょろくていいの?」って。

もちろんそれはハイレベルな話ではなく、文字単価0.5円とかの安いライティング案件でべた褒めされて……みたいなレベルも多いけれど。

しかも文字単価0.5円とかでやってたのは4年も前のことなのか。びっくり。

今はさすがにいただけるお仕事のレベルも上がってきていて、全然ちょろくないし涙目で書いてることもあるのだけれど。

どっちみち、才能あるっぽいことに突き進んでいけばいつかは壁にぶち当たるし、お望みの「努力」も「時間をかけること」も求められるから。

まずは、ちょろいと感じることに対して「才能あるかも」って自覚的になって、小銭を稼げばいいんですよ。

言葉は悪いですけどね。

最近、noteでカフェчерника(チェルニカ)っていうマガジンをやってるせいかな。

このマガジンではかなり正直にというか、素の文章を書いているので。ほぼ毎日書いてるから、ブログでも素が出てしまいました。チェルニカも、よかったらぜひ。

あと、もう1回言うけど、簡単にできるってことは才能がある可能性が高いから、とにかくやってみてほしいです……!