「やりたかったこと」は、やりきるまで一生、頭の隅でくすぶり続ける

スポンサーリンク
ひとりごと

やりたかったけど、いろんな事情でやれていないこと、ありませんか?

そういうのって、自分が「やりきったな」と思うまでやらないと、一生、頭の隅に残っているんじゃないかなって思ったんです。
残るだけならまだしも、「やりたい」の欠片は少しずつどろどろした感情をまとって肥大していくんじゃないかな。

漫画は描かなくなったけど、バレエはやりたいわたし

最近になって、「わたしがやりたいことって、基本的に子どもも頃から全然変わらないな」って気づいたんです。

たとえば園芸。プランター菜園や水耕栽培、観葉植物など。

小学生のころは「お花係」をしたり、学校の帰りに人んちのプランターの花を(雑草と思って)摘んじゃったり。

高校生のころはホームセンターでレジのアルバイトをしていて、園芸コーナーのレジが一番好きでした。
やることがないときは、レジにある図鑑を読むのが楽しかったです。

お裁縫や編み物、ハンドメイド(手芸)もそう。
ジェニーちゃんの服を編んだり、小学校では手芸クラブに入っていたときもありました。

ただ一方で、子ども頃はあんなに大好きだった「漫画を描くこと」は、今ではまったくやらなくなりました。

物心ついたときから絵を描くことが好きで、ちょこちょこ賞をもらったりもしつつ、徐々に漫画にハマっていき、漫画クラブに所属していたときもありました。
少しずつ道具や教本を買い集めて、漫画を描き、りぼん漫画スクールに投稿していました。

でも高校1年生のときを最後に、いつのまにか漫画を描かなくなり、漫画家になりたいという決意も忘れていきました。

もう一方で、今でもくすぶっているものもあります。

それは、踊ることです。

わたしは幼少期からバレエを習っていました。
中学や高校の体育でおこなう創作ダンスの授業も好きでした。

でも、バレエは、中1の夏に突然辞めることになったんです。
両親が離婚し、それと同時期に父親の経済状況も悪くなったようで、バレエが続けられなくなりました。

夏の発表会に向けて練習がすでに始まっていた時期に、いつも通りレッスンをした日の夕食時に、「辞めるって先生に連絡したから」と親から言われました。
友達に挨拶する機会すらありませんでした。

中学生からはレッスンも厳しくなり、ますます面白くなってきたところでした。

相談もなく、謝罪も労わりの言葉もなく、突然言い渡された夢の終わりは、未だに思い出しては苦しい気持ちになります。

やりたいと思ったことは、自分で納得するまでやらないと終われない

漫画が、園芸や手芸、それからバレエと違う点は、自分で納得するまでやりきったということです。

漫画を描かなくなったのは、りぼん漫画スクールに投稿しても一向に入賞する気配がないなと思ったことも一因ではありますが、そういうのも含め、「もういいかな」って思ったんですよね。

それは「挫折」とかそういう気分のものではなく、自然と、「なんかもういいや」って思ったんです。

これが、「やりきった」ということなのではないかな、と。

園芸や手芸は、まだ「やりきった」の境地には行っていないけれど、現在進行形で情熱を燃やすことができているので、現状に満足しています。

これらはお金をそんなにかけなくてもできる趣味なので、大人になってから少しずつ続けることができましたし、今のところ「漫画家になりたい」のような明確な成功基準があるわけでもありません。
一生の趣味として、やりきることなく、細く長く続けていくのかもしれません。
そのうち、どこかで満足したら、興味を失うことも、あるかもしれません。

バレエ(というか踊ること)については、園芸や手芸に比べると、難しいです。

まず1人ではできません。
どこかの教室に通うことになります。
それには時間もお金もわりとかかります。

実はいっとき、近所のバレエ教室の大人クラスに通っていたのですが、今は通えていません。
物理的に多忙なだけなら予定をやりくりして通えますが、精神的にゆとりがなくなると通えなくなりますね。

バレエは、一番「納得のいかない離れ方」をしているせいか、かなり怨念が強いです。
辞めたときのことを思い出しては悲しくなったり腹が立ったり。
そして、なにより、バレエを続けていれば、若くて体力のあるうちにいろんな演目を踊れたのに、今からバレエを再開したところで、完全に手遅れ、という点が、わたしをどうしようもない気持ちにさせます。

諦めなければ今からでも目指せるステージはあるとも思っていますが、それでも、失ったものが取り返せるわけではありません。

園芸や手芸にしても、わたしは子どものころは、十分にできませんでした。
手芸は、家の裁縫道具やはぎれや余った毛糸をもらって多少はできましたが、新たな材料を買ってもらうとかはなく、貧乏で、少ないお小遣いは漫画関連につぎ込んでいたので、予算不足でした。

園芸は、家には資材がなくお金もかかるし、汚れる要素が強くなにかにつけ保護者の協力が不可欠なため、家ではほとんど手が出せませんでした。
小さなサボテンの鉢をいくつか買ってもらったぐらい。

お店ではよく植物の種や栽培キットを眺めては、パッケージの説明書きを見て、家庭菜園の空想をしていました。
大人になってからようやく、少しずつベランダ菜園をするようになりましたが、未だに満足することを知らず、それどころかどんどん沼にハマっている状態です。

このように、自分自身がやりたいと思っていることについては、自分自身で納得してから辞めないと、いつまで経っても引きずるし、それどころかどんどんしんどくなります。

やりたいと思ったことは、自分で納得するまでやる、辞めるときは自分が納得してからにする、というのが、人間の自然な姿なのかもしれません。

天命というものがあるのだとしたら。

あんまり、運命とかそういうのは信じない人間ですが、なんというか、持って生まれた才能や資質はあると思っています。

それは自分自身の考えや行動だけではどうしようもないもので、ましてや親が無理やりやらせたり周囲が辞めさせたりするような性質のものではなく。

あえて言えば「天命」というか。
そういうのが、あるんじゃないかな、とも思います。

人によって興味をもつものはさまざま、うまくいくやり方もさまざま。

なんとなく心惹かれる、理由はわからないけどこれが好き。
そういうものを、自然とやることが、その人が幸せに生きる方法なのだと思います。

それは天職になる場合もあれば、最高の趣味として、その人の人生を彩り続ける場合もあるでしょう。

向いている職業に就いて楽しくお金を稼ぐことだけが、幸せだとはわたしは思わないので。
天命(才能・資質)が仕事になるかは、時代のニーズとも深く関係していますし。

でも、仕事になるにせよ趣味になるにせよ、もしくは自分の人生を大きく変える出来事を呼び込む鍵になるにせよ、自分自身がやりたいことは、ちゃんとやるのが、幸せに生きる道であると、強く思います。

自分が諦めるまで、やる

わたしだけでなく、多くの人が、自分のやりたいことをやれていないと思います。
外部要因によって辞めざるを得なかった経験を持つ人も多いでしょう。

やりたいことをなんでもかんでもやれという話でもありません。
物理的・経済的、さまざまな事情でできないこともたくさんあります。

ただ、それを、自分自身が納得しているのか?
そして、それは本当にできないのか?

自問しなければなりません。

たとえば、「毎日ステーキが食べたいけど、そんなことをしたら栄養が偏るしお金もかかりすぎるからできない」とか、そういうのは、やってみたらいいと思うんですよ。

やりたいことは、ちゃんとやらないと恨み節ばかり上手になります。

でもやってみると、「意外とステーキって3日で飽きるな」と早々に満足してやめられたり、「ステーキって3口ぐらいで満足するから、肉を冷凍しておいて毎日少しずつ食べればいいのでは?」と思いついたり、周りにステーキの人と認識されてステーキ関係のイベントに呼ばれるようになったり、などなど、さまざまな結果が出てきます。

うまくいかなかればいかないで諦めがつくし、うまくいけばうれしいし。
「うまくいく」というのも中身は実に多様で、自分なりに快適な結果がどれなのか、それは行動してみるまで一生わかりません。

逃れられない天命を受け入れる

やりたいことは、自分で納得するまで頭の中でくすぶり続けるというのは、言い換えると「運命・天命からは逃れられない」みたいなことになります。

これは、本当にそうだと思います。

諦めたフリをしてみても、「わたしには無理だ」と言い聞かせてみても、自分が本当に「やりきった」と納得していなければ、ずっと引っかかったままです。

やりたいな、やりたかったな、ということは、とにかく、小さくでもいいからやってみること。

小さな一歩を踏み出すことでそれが次の一歩につながります。
それが本当に天命だったら、一歩一歩を積み重ねるうちに、とんでもない高みに到達するかもしれません。

それが天命というほどのものではないにしても、それはそれで、「可能性を閉じる」という意味があります。

可能性は多ければ多いほど、迷うし時間や労力のロスも多くなります。

理想は、子どものころからやりたいことをガンガンやって、どんどん可能性を閉じていくことだと考えています。

人生の早い段階で天命を知る人はほとんどいませんが、どんどん可能性を閉じていけばそのうち、何が残るか見えます。

ここまで触れませんでしたが、わたしにとって、「文章を書く」ことも、逃れられないことのひとつです。
でも、仕事にしてしまったせいか、一時期は純粋に楽しめなくなりました。
「書かずにいられないから書く」というだけで。

まあ、最近はこのようにマイペースに書いているので、少し楽しめるようになりました。
ブログではあまり読む人のことは考えていないため読みづらい部分は多々あると思いますが、わたしはこっちのほうが楽しいです。

やりたいことはひとつに絞る必要はなく、むしろ複数あるのが自然だと思います。
今後も、興味の赴くまま、外の声を気にすることなく、やりたいことを自分のペースでやりたいです。

もう少し元気になったら、バレエ教室にもまた、通いたいと思っています。

********

そういえば、自分が諦めるまでやめないとか、天命とか、そういう話は左ききのエレンにもたびたび出てきます。というか、それが主題かもしれない。

今、わたしが読んでる唯一の漫画です。

▼原作版

▼リメイク版(ジャンプ+で連載中)