「上には上がいる」
「だからお前なんて大したことない」
「だから自分なんてまだまだだ」
みたいな考え方が癖になると良くないなぁと思っています。
そういう考えに捉われている人は大成しないだろうな、と。
あと、純粋に「しんどそう……」と感じてしまいます(´・ω・`)
「上には上がいる」って当たり前すぎ
人ってランキングが好きですよね。ランキングランキングってうるさいんじゃ!
Webライター(SEOライター)をしておりますと、指定されるキーワードに「ランキング」が入ることも多くて、つい毒づいてしまいました。笑
誰かの成功に対して、「でも上には上がいるんだからもっとがんばらないと」とか、「上には上がいるんだからお前なんてすごくない」とか言いがち。
でもね、わたしはこう思うんです。
「何を当たり前のことを……(゚ー゚*)」
特定のカテゴリの中で1番をとったとしても、上には上がいる。
たとえばランサーズのライターカテゴリの中で1位になったとしても、それより稼いでいるライターはいくらでもいるわけですよね。
そんな当たり前のことをわざわざとっ捕まえて、「君、いい気になっちゃいかんよ。上には上がいるんだよ」とドヤ顔で言う必要があるのでしょうか。
基準が変わればランキングも変わる
オリンピックで金メダルを取った選手でも、ナンバーワンとは限りません。別の大会では銀メダルかもしれないし、金メダルとっても「世界ランクは8位」みたいなこともあるでしょう。
スポーツ全然見ないのでよく分かりませんが。
順位っていうのは、ルールありきで存在するものです。
ルールが変われば簡単に変わってしまうランキングを、そんなに有難がる必要があるでしょうか。
成功した人に対して「でもそれはあくまで○○の中でのランキングでしょ?上には上がいるんだから調子に乗るなよ」と、調子に乗ってもないのに言う人がいます。
まぁ人によるのでしょうけども、わたしはランキングというものにあまり価値を感じないので、調子に乗ることもありません。
それよりも、自分の記事の影響で誰かが行動を起こしてくれたり、尊敬できる人たちと一緒に仕事できる喜びのほうが大事だよ。
ナンバーワンなんて幻想だ
捉え方によっては、「自分なんてまだまだだから、もっとがんばらなくちゃ!もっと上を目指そう!」とポジティブな言葉にもなります。
が、そもそもナンバーワンなんてなれないんですよ。
基準が変わればランキングは変わるんだから、何かのランキングで1位ととったところで、それが唯一無二のナンバーワンということにはならない。
どんな基準を作っても、どんな状況でも、どんな時代でも、唯一無二のナンバーワン。
こんなの幻想だと思うのだけれど、「上には上がいる」ということにこだわる人は、その幻想をあたかも存在するかのように信じているように見えます。
ポジティブに精進する姿は美しいかもしれないけど、わたしには、どうもそういうふうには見えないんです。
「上には上がいる」と言いがちな人には、もっとネガティブな何かを感じます。
中傷の材料もしくは頑張らなくていい言い訳として
人に対して言う「上には上がいる」というのは、批判というか、中傷の一種だと思っています。もちろんその言葉が発せられるシチュエーションによるわけですが、人を中傷するときに使われるのをよく見るなぁ、と。
「○円稼いだぐらいで何がすごいの?(上には上がいるのに)」とか、そんなニュアンス。
自分に対して思う「上には上がいる」というのは、「だから、がんばるなんて無駄」という文脈で使われることが多いような気がします。
たとえば、「わたしは絵を描くのが好きだけど、上には上がいるし、わたしにはそこまでの才能がないから諦めよう」みたいな文脈で。
諦めるのは自由だけれど、それが「上には上がいるし、自分のやっていることは無駄だ」みたいな0か100みたいな理屈になっているのはもったいないです。
わたしはこれといった才能もなく、子どものころはそのことがコンプレックスでもあったけれど、今はそうは思いません。
総合力で戦っているから。文章がそこそこ書けて、コミュニケーション能力が少し優れていて、みたいな、小さな「得意」をかき集めて、なんとか形にしているんです。
これってわたしだけじゃないはず。
ナンバーワンなんてものは幻想だし、圧倒的な才能を持つ人なんて超レアだけれど、そんなもの無くても十分戦えるぐらいには、世の中優しいです。
上には上がいる、なんてのはすっごく当たり前の大前提で、わざわざ固執する必要なんてない。
ましてやそれを批判の材料にしたり、自分への言い訳に使う必要なんてもっと無いはず。
そんなことを考えながら、わたしは今日も今よりちょっと上を目指しながら生きるのであります。