『自分を好きになりたい。』虐待サバイバーには思った以上に号泣する内容だった

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ひとりごと

先日、何気なく読んだ本がものすごく良かったというか、心をえぐる本だったので、ブログにも記録しておくことにしました。

読んだ本は、コミックエッセイで、わたなべぽんさんの『自分を好きになりたい。自己肯定感を上げるためにやってみたこと』です。

メンタルをいい感じに上げたいと思って、軽い気持ちで読み始めました。

ところが、冒頭から号泣。

最後まで、号泣。

どんな本だったのかと、本を読んだ後に私が考えたことや行動したことについてまとめておきます。

一言で言うと「インナーチャイルドを癒した記録」だけど……

本の内容は、簡単に言うと、子供の頃に虐待を受けて育ったことで、大人になってからも生きづらさを抱えている作者が、傷ついたインナーチャイルドを癒すことで自己肯定感を上げていく、と言うものです。※「インナーチャイルド」という言葉は使われていません。

わたなべぽんさんはこれまでにも、大幅なダイエットに成功した記録や、苦手だった片付けを克服する記録などもコミックエッセイとして出版されている方。

ほっとする可愛らしい絵柄で、ご本人のネガティブな部分も含めさらけ出して書かれており、構成や内容がわかりやすいので、読んだ後に真似したくなるといった特徴があります。

今回の本で気づきましたが、私がわたなべさんの著書に親しみを感じるのは、私も同じ生きづらさを抱えているからだと思います。

本のストーリーとしては、過去を思い出す中で、頭の中から子どもの自分が飛び出してきて、あんなことをしたかった、こんなことが嫌だったと言ってくる。それを大人になったわたなべさんが話を聞いてあげたり、その子の願いを叶えてあげたりしていきます。

その流れで、過去のエピソードが色々と出てくるのですか、服を脱がされて、外に放り出されるシーンは恐ろしかったです。私も全く同じような経験をしているんですけど、ありえないですよね……。

他にも虐待エピソードがちょこちょこ出てくるので、しんどい人は休憩を挟みながら少しずつ読むのがいいと思います。

癒しの過程を疑似体験できる

この本の良いところは、わたなべさんが癒されていく過程を見ることで、自分も少し癒されていくような疑似体験ができる点です。

小さな自分と一緒に歯磨きカレンダーに取り組んだり、子どもの頃に自分が欲しかった言葉をかけてあげたり。

どれも涙なしでは私は読めないのですが、「そうだ。私もこうやって言ってほしかった。」「私の話を聞いてほしかった。」と激しく共感しながら、のめり込みながら読み進めました。

私も、わたなべさんと同じで、だらしがなくて、ものすごく忘れ物が多い子どもでした。

でも、今思えば、他の子は親が学校の用意を手伝ってくれたり、一緒に作業したりしてくれてたんだろうなとわかります。

小学生が1人で学校の用意ができるわけがありません。給食のお箸を出し忘れたり体操服を出し忘れたりすると、何時間も外に出されたりするわけですが、そこまでする必要はどこにあるでしょうか?

そんなことを思い出しながら、私も癒しの過程を疑似体験できました。

内容的には、正直かなりハードな内容だと思います。

でも、コミックエッセイと言う形なので、読みやすいですし、一時的にしんどくなるのを覚悟の上、興味がある方は読んでみてください。

小さいなっちゃんがやりたかったこと

本を読み終えてから「私も子どもの頃にやりたかったことや、途中で投げ出してしまった事に再チャレンジするためのリストを作ろう」と思いました。

ところがいざ考えてみると、なかなか思い浮かばないものです。

多分、わたなべさんも、スムーズに思い出せたわけではないと思います。

なぜなら、物心ついた時から尊重されず、虐げられて育ってきたら、自分が何をやりたいかなんてそもそも考えないですし、どうしたら怒られずに済むかが最優先になってしまいます。

それでも潜在意識では、もちろんやりたい事もあるし、嫌なことをされたら傷つくけれど、それを丁寧に掘り起こして行かないと、自分が本当は何がしたかったのか何が嫌だったのか知ることができません。

私は4年前からカウンセリングに通い始め、すでに過去には向き合ってきましたが、それでもやっぱり、自分がしたかった事はなかなか思い出せません。

一応これまでに自覚があったのは、バレエを突然辞めさせられたからまた習いたいとか、子どもの頃は、家で植物を育てることができなかったからという理由で、今ガーデニングにはまっているとかそんなところでしょうか。

でもすぐに思いつくのは、これぐらいで、新たに思い出す事にかなり苦労しました。

小さいなっちゃんに話しかけてみる

一日中このことばかり考えるわけにもいかないので、一旦保留にしてみたのですが、スーパーへ買い物に行った時に、何気なく、心の中の小さな自分に話しかけてみました。

子どもの頃はあだ名がなっちゃんだったので、私もなっちゃんと呼びかけてみました。

スーパーだったので「なっちゃん、何が食べたい?」と聞いてみました。

すると、すぐに答えられず、もじもじする小さな自分の姿が脳裏に浮かびました。

そうだ、私はたまに優しい大人から何かを問いかけられても、うまく答えることができなかった。

また、祖母や親戚が、私がうまく答えられなくても、これはどうか、これもいいんじゃないかと、いろいろ買ってくれたことも思い出しました。

でも、そうすると、帰ってから親に怒られます。

調子に乗るな、お母さんが普段何も買ってへんと思われるやろ、など。

そうすると、ますます外でも何も言えなくなってしまいます。

そんなことがふわっと思い出されてスーパーで少し涙目になりながら、「もうお母さんに絶対に怒られないから、ゆっくり考えたらいいよ」となっちゃんに語りかけました。

すると、なっちゃんはゆっくりお菓子が見たいと言いました(そんな気がしました)。

子どもの頃は、スーパーのお菓子売り場に行くと、私は妹を見張っておかなければならないので、自分が欲しいお菓子をじっくり選ぶという経験を多分してない気がします。

子どもがお菓子を見ている間に、親は食材を見に行くわけですが、怖がりな私は悪い人が近づいてくるんじゃないか、絶対に妹は私が守らなければ、とか考えて、全然お菓子に集中していなかったのです。

この時は、小さいなっちゃんが、納得するまでゆっくりと時間をかけて一緒にお菓子コーナーを見ました。

いくつかお菓子を買ってあげると、今度はもう疲れたから帰りたいと言いました。

リストに書くことが全然思い浮かばなかったけれど、私はゆっくりとお菓子コーナーが見たいだとか、ちゃんと疲れた時は疲れたから帰りたいと言うこととか、そんな些細なことができていなかったのだなと感じました。

サンリオのウエハース

スーパーでは、サンリオキャラクターのウエハースも買いました。

きれいなカードがついているので選んだのですが(小さいなっちゃんが)、そのお菓子を食べて、とても嬉しい気持ちになりました。

ウエハースは食べるとものすごく粉がこぼれるのです。

こぼして怒られるのが怖くて、ウエハースは選ばないようにしたり、誰かからもらったとしても、親が留守の時に食べるようにしたりしていたことを思い出しました。

ウエハースの粉がこぼれているのを見ながら、なっちゃんに語りかけました。

「後で拭いたらいいから大丈夫やで。ウエハースおいしいな。」

私はこぼれるのが嫌と言う理由で、パイ生地を使ったお菓子やサクサクのクッキーなども苦手なのですが、苦手というより、食べるのが怖いと思っていたんだなと気づくことができました。

まとめ

はじめは、自分の小さい頃の気持ちが全然思い出せなかったけど、ひとたび自分の中に小さいなっちゃんを見つけると、なっちゃんが色々と話してくれるような感覚が持てるようになりました。

ちなみに、私はスピリチュアルが少し苦手で、こういうインナーチャイルドとかのことを調べてみても、すぐにスピリチュアルな、しかも怪しいやつが出てくるので、その点は非常に不愉快ではあります。

そんなわたしでもわりと大丈夫だったので、スピリチュアルが苦手な人でも、大丈夫じゃないかな。

心理学的な話でもあるので、かすかな抵抗感程度であれば、試しに実践してみても良いのではないでしょうか。

少なくとも私は実践してみてよかったです。当分続けてみるつもりです。

こういうお菓子も(昔はここまですごいのは無かったけど)、やってみたいと言うのでやりました。

正直、わたしとしてはめっちゃ面倒くさかったので、すぐには取りかかれませんでした。

親が嫌がる気持ちは、わたしも親なのでわかります。

でも、こういうのに付き合ってくれる親、いいですよね。

やってみると、やっぱりめちゃくちゃ面倒くさかったです!

でも、なっちゃんは楽しかったみたいです。

不思議な感覚です。わたし自身の「面倒くさいけどなっちゃんが喜んでくれてよかった」という気持ちと、小さいなっちゃんの「おもしろい!楽しい!」という気持ちが同時に存在しています。